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プロジェクトマネジメント全般に関するコラム

第3回:「プロジェクト管理は性善説か性悪説か?」

 

 

前回のコラムで、「個人の成熟度」が「組織の成熟度」に影響する、というお話しに少し触れました。

組織全体としての作業品質を高めようとすると、結局その組織活動に参加している個人の作業品質に依存する点が多いので、結局、個人の能力を高める(個人の作業の進め方を改善する)ための活動をして行く必要がある。という考え方です。

 

「個人の作業の進め方」についていろいろと検討して、なんらかの具体的な答えを出そうとすると、個人について「性善説で考える」べきなのか、あるいは「性悪説で考える」べきなのか、という疑問がわいてきます。

 

皆さんは、どう思われますか?

 

例えば、マキャベリ(1469~1527)の君主論は徹底的な「性悪説」ですね。

君主論を読むと「なにもここまで、人間のことを悪く思わなくても良いのに。」と思ってしまいます。

一方、日本では二ノ宮尊徳(1787~1856)がこんなことを言っています。

「"天の道"と"人の道"は異なる。努力して誘導していかないと"人の道"というのは、外れていってしまうものだ。」

この言葉もある意味「性悪説」ですが、個人に対する否定的なニュアンスはありません。私は、この二ノ宮尊徳のスタンスが、プロジェクト管理の個人に対するスタンスとしてはちょうど良いスタンスなのでは、と思っています。

 

人間は間違いも犯すし、楽をしたいし、明日やれることは明日やりたいものだけど、そうした悪い面だけでは決してなく、努力したり、成果を喜んだり、やり方を工夫したりと、良い面もいっぱい持っている。

 

個人のマイナス面をいかに小さくし、プラス面をいかに大きくするのか?そうしてそのプラス面を集中して結果を出すための努力を続けることにより組織全体の成功につなげる。それがプロジェクト管理の永遠のテーマですね。

 

最後に、尊徳さんの言葉をプロジェクト管理の言葉に置き換えるとこうなります。 「"プロジェクト計画上の予定曲線"と"実績曲線"は異なる。努力してプロジェクト管理を実施していかないと"実績曲線"というのは、"予定曲線"から外れていってしまうものだ。」

 

 

 

 

 

 

 

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